Further通信Vol.62

みなさま、いつもお世話になっております。FURTHER代表の佐野隆弥です。お客様方には、日頃より弊社をご愛顧いただきまして、この場をお借りして改めて感謝御礼申し上げます。いつも、誠にありがとうございます。

今回のFURTHER通信はいつも以上に私的内容を綴らせていただいております。もしかしたら気分を害される方もいらっしゃるかもしれません。しかし、今日のこの日の気持ちを、しっかりと残しておくことが故人への弔いかと思い、敢えてこの場で綴らせていただきました。何卒ご理解いただければ幸いです。

 

突然の別れ。

昨晩19日の晩、先輩の一人息子が、突然亡くなってしまったと聞いた。成人を迎える前だ。昨夜のことなので死因等は詳しくは分かってはいないけれど、とある筋の話によれば、元々の持病からの発作が原因で、風呂場で亡くなっていたとのことだ。

自分も彼とは親交があった。それも割と思い入れのある付き合いをしていたつもりだ。彼のはにかんだ屈託のない笑顔が今でもすぐに思い出せる。

 

初めて彼を見たのは、いつの頃だろうと思い返す。

その先輩とは音楽つながりで昔から知っていた。20歳そこらの少年から見た10個近くも上の女性ってのは、もはや女ではなく、地元の音楽関係の先輩って感じだったことを思い出す。その先輩がまだ小さかった彼を連れていた姿を、よくライブ会場や地元の野外フェスで見かけたことを思い出す。

その頃の自分は、良くも(?)悪くも少し捻くれていて、自分の兄貴分である先輩が付き合っていない人たちとは、たとえそれが先輩でも挨拶もしなかった。若い頃というのは、兎角、変に歪んだ意味のないプライドを持ちがちだ。彼のことを知ったのはちょうどそんな時期だった。

・・・。

そうか、彼との出会いからもう16〜7年近く経つのか。つい先日のことに感じてしまうのは、自分も歳を取ったせいだろう。

思い返せば確か彼を初めて見たのは、幼稚園?小学生低学年?の頃だったな。メガネをかけていて、おかっぱあたまで、小さな手を振りながらニコニコしている彼を思い出すと、涙が出てくる。だけども、同時にまだ状況を飲み込めていない自分がいて、受け入れたくない自分がいるから、今ブワッと湧いた涙はまだ溢れては来ない。

自分がちょうど31・2歳の頃、家族4人でたまたま先輩の自宅の近くに引っ越すことになった。家が近所になったということも相まって、先輩家族との親交も増えていく。夜な夜なコンビニで酒を買っては、先輩の家に遊びにいく。すると、はにかんだ笑顔とぎこちなく、挨拶をしてくれる。

部活の話や、恋愛相談、家庭教師の話やら、色々なことを話をした。近所のお兄ちゃんなんだから、俺もかっこよく居なくちゃいけない。そう思っていた。

音楽に興味があると言った時には、つい嬉しくなっちゃって、今は聴いていないCDを沢山プレゼントした。お前が外に行っても舐められないように、良版を沢山プレゼントしたよ。生音のバンドというよりかは、しっかりと合わせやすいように、電子音メインでセレクトしたよ。

いつだか、どこかでDJデビューした時だったっけかな?嬉しかったことを覚えてる。アニメの曲でもなんでも良いと思った。

「あの恥ずかしがり屋の彼が、遂に人前でプレイしたんだ!」って。

人伝に聞いた時は自分のことのようにすごく嬉しかった。そして、介護の専門学校にいくって聞いた時、もう彼は少年から大人になる一歩手前の、だけれども、まだまだ可愛いあいつだった。頑張れよ、なんて言ってからもうすぐ一年経つのか。

それが何故、皆よりも先に死んでしまうのでしょうか。

・・・

今は専門学校に通って、帰省している時の出来事だったらしい。つい数日前、先輩から、たまには遊びにおいでと連絡をもらっていたところだった。俺がもしもあの時に少しでも良いから顔を出していれば、もしかしたら状況は変わっていたのかもしれない、と思ってしまう。

 

数年前、先輩の自宅から近くの借家からは引っ越すことが決まり、家がほんの少し離れただけで、あの頃とは比にならないくらい疎遠になってしまった。だから必然的に彼が専門学校の学生姿をまだ見ていなかった。話も聞いていなかった。

専門学校の話をもっと聞きたかった。可愛い子いたか?って聞きたかった。久しぶりに会えた時には、まだあのはにかんだ笑顔で、手を振って「よお。」って言ってくれるのか、確かめたかった。これから最近のお前を知ってる人に聞くことにするよ。悪かった。

 

もっと、たくさん、会って話をしよう。

突然死が多すぎる気がする。とある友人の父親も数日前に亡くなったらしい。

自分が最近直面した「死」は、自分の母親の死だ。幸い私と母は、亡くなる前に、しっかりと後悔のない会話をすることが出来た。(と思っている。)

自分は当時、母と私の間には残された時間が僅かしか残っていないと分かった途端に、無性に焦り始めた。

(自己満だと思われてもいい。恥も照れも捨てて、最後にどうしても伝えたかったこと、分かってほしかったことを母に伝えるんだ。母に遠慮することなどない。)

その時思ったことは、もっと早く素直に気持ちを伝えればよかった。ということ。

「自分の気持ちを素直な心で整理して、上手に人に伝える」

これさえもっと早く出来ていれば、最期だからと言って焦ることはないのでしょう。人は、自分自身に対して、家族に対して、人様に対して、素直な気持ちで接することが当たり前に出来た人生を送るべきだ、とさえ思った。自分自身の言葉にならない感情から逃げずに言語化して、それを周りの大切な人たちには伝えるべきだと思った。

 

・なぜ自分からアプローチする必要があるのか。

・プライドがあるからやめておこう。

・こんな気持ちを人に伝えたら恥だ。自分はこうあるべきなのだ。

 

そうじゃないんだ。皆、もっと素直になればいいと思う。

遠慮はいらないし、時には思いやりさえも必要のない時だってある。一人一人が、自分自身の感情に対してしっかりとした日本語で向かい合い、整理してから互いに伝え合うことが人間は大切なんじゃないかな。そう思う。愛とか平和とかよくいうけど、これが出来たならそれが一番ラブアンドピースでしょ。とさえ思う。

取り止めのない話になってしまったが、思うのは、会いたい人には積極的に会って、互いの思いを共有・共鳴し合うことってのは大切だなって思う。人は本当にいつ死ぬのかわからない。故人の魂が報われるためにも、生前になるべくたくさんの時間を共有して共鳴し合おう。

 

肉体は滅びても、魂は生き続ける。

彼の笑顔は永遠だ。少なからず自分はすぐにあの顔を思い出せる。彼は僕の中では一生、生き続けます。大丈夫。これから彼に会いに行こう。どんな言葉をかけようか。行かないと。

 

FURTHER 代表:佐野隆弥